幸せのおむすび物語

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おにぎり、お米の起源と日本での稲作

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① お米づくりの歴史

お米の起源

数万年前、人々は木の実などの採集や狩りで生活を営んでいました。
しかし狩猟による生活は食料の確保がとても不安定なものでした。
そこで人類は農耕を編み出します。

狩猟生活から農耕生活へ変化したことで安定して食料を確保出来るようになり、人類は繁栄し文明は発展していきました。

お米、小麦、とうもろこしの3種は特に”世界三大穀物”と呼ばれ人類の歴史に重要な役割を果たしてきたのです。

 

現在、お米の生産量は世界的に見ると小麦に次いで二番目に多く、米生産の約90%が日本・朝鮮半島・中国・東南アジアほぼ全域とインド・バングラディッシュ等のアジアが占め、アジア以外ではイタリア・スペイン、南アメリカのブラジルやコロンビア、アフリカのエジプトやセネガルでも稲作が行われています。

 

お米の生産性は小麦の10倍と非常に高くアジアの豊富な人口を支え独自の文化を育んできました。
小麦は1粒に対し20粒程しか収穫できないのに対してお米は1粒から200粒が取れるのです。
また稲作は二期作も可能なのですが、麦は連作できず、三圃制度がとられました。
ただし稲作は、夏季にまとまった降雨量と日照を必要とする為、アジア以外の地域では広まらなかったのですね。

 

お米の栽培方法

●水稲

 

稲の水田による栽培を水田稲作と呼び、水田で栽培するイネを水稲(すいとう)と言います。
田に水を張り(水田)、底に苗を植えて育てる。日本では、種(種籾)から苗までは土で育てる方が一般的ですが、東南アジアなどでは、水田の中に種籾を蒔く地域もある。深い水深で、人の背丈より長く育つ栽培品種もあります。畑よりも、水田の方が品質が高く収穫量も多く連作障害も起き辛いため、定期的な雨量のある日本ではほとんど水田を使っています。

 

●陸稲

 

畑で栽培される稲を陸稲(りくとう、おかぼ)と言います。
水稲では殆ど起きませんが、同じ土壌で陸稲の栽培を続けると連作障害が発生します。
水稲に比べて草型が大きく、葉身が長大で根系が発達しており、粒も大きめに育ちます。また、収穫率・食味は落ち(特に粳米)ますが、水田を作らずに畑に作付けできるので育成が容易であることが特徴です。治水の問題で水田が作れない地方、国において栽培されています。日本でも以前作られていましたが、治水が進み、品種改良されるにつれて、そのほとんど水稲に取って代わられています。

日本におけるお米づくり

日本におけるお米づくりの起源

日本におけるお米づくり・稲作の歴史は非常に古く、なんと縄文時代から始まりました。中国から九州へと伝わったとされる稲作技術によって、少なくとも3000年以上前から日本人がお米をつくっていたことが明らかになっています。最も古い田んぼ(水田)としては約2500年前のものが岡山県で発見されています。 そして縄文時代から弥生時代にかけて、お米づくりは日本中に広がっていきました。日本のお米づくりは九州地方から東へと広がりました。2200~2300年前の時点では現在の青森県まで田んぼでのお米づくりが伝わっていたことが分かっています。  

 

日本の気候は稲作にピッタリ

日本中で広まっている稲作ですが、雨が多く降る季節(梅雨)と雨が少なく暑い季節(夏)がある日本の気候はお米作りに最適なのです。これはタイやインドネシアなどの東南アジアおよび中国などお米の生産量の多い地域に共通して言えるポイントです。
そして長期の保存が利き、なんと言っても大変美味しかったというのが、日本人の主食として広まった大きな要因と言われてます。

 

日本のお米~ジャポニカ種

丸みを帯びていて、炊飯するとねっとりともちっとした食感の日本のお米はジャポニカ種と呼ばれています。
寒冷な気候に強く、様々なストレスにも強い品種ですが、栽培に大量の水を必要とし、基本的に水田稲作にしか適応しないので、栽培地域は限定的な品種です。
世界的にはマイナーな品種のジャポニカ種ですが、栽培地域として最北に位置する日本において卓越した栽培農法が確立され、特殊なコメ文化が形成されてきました。

 

次はお米に含まれる栄養素についてお話します。



お米の栄養>>